胸に宿した確かな熱 仕事が終わって事務所から外に出たら、ちょうど空からぽつぽつと雨が降り始めていた。 こういう事はよくある事だった、認めたくないけど。 だからちょっとだけ気持ちが落ちる。 でも落ちるって程落ちるわけじゃない。よくある事だからちょっとは慣れたんだと思う。 どんどん黒く染まっていくアスファルトから視線を空に移すと、厚くて灰色の雲がもくもくしていて、これから強い降りになりそうな気配がした。 でも事務所から駅はすぐそば。濡れるっていってもそれ程でもないし、地元の駅に着いたらおかあさんに迎えに来てもらえばいい。 事務所に戻って誰かに傘を借りようかと思っていた足を止める。 傘はいらない。 思い切って走ろう、そう思って足を踏み出そうとした時、ふと後ろに気配がした。 ドアが開かれる音がして、その方を見る。 「あ、舞美!」 視線の先で私を見るその人の手には、傘。 私の横に立って、空を見上げてる横顔が綺麗で見惚れていると、突然目が合った。 「何見てんの?」 「まぁの顔。」 「な、何バカな事言ってんの?」 目を逸らされた。と同時に赤く染まっていく頬。 触れてみたい、と思った。 だから素直に手を伸ばしたらそれに気がついたのか、ばっさりと手を払われた。 「ったく、いつも簡単に人の事触ってー。」 頬は赤く染まったままだった。というかどんどん赤くなっている気がした。 だからもう一度手を伸ばしたら、きっと気づいていたのに今度は手を払われる事はなかった。 手を伝って感じる熱は思ったよりもずっと熱くて、思ったよりも柔らかい感触。 黙ったままそうしていると、「もういいでしょ」って手を払われた。 「ホント、誰にでもそうやってすぐ触るんだから。」 その言葉の意味がよくわからなくって、だけど手のひらにいつまでもこんな風に感触が残ってるのは初めてだった。 自分の手のひらをまじまじと見つめていたら、その手のひらに乗せるようにぽんっと何かが置かれた。 「どうせ持ってないんでしょ。ちゃんと返してね。」 「だ、大丈夫だよ。それにまぁが濡れちゃ・・・。」 そう言いながら隣を見たらまぁはもういなくって、少し先に走って駅に向かう後ろ姿が見えた。 グレーの服が点々と濡れているのがわかった。 私の手には、傘。 いらないと思っていた傘。 傘を手に持ったまま差さずに、私は追いかけるように走った。 だけど結局、追いつく事が出来なかった。 地元の駅に着いて、空を見るとまだぽつぽつと雨が降っていた。 おかあさんに電話しようと携帯を取り出してみるとメールが来ていた。 『ちゃんと傘差して帰ってね』 自分は濡れて帰ったくせに。 それにこれまぁの傘なのに。 私、雨女なのに。 こんな事よくあるのに。 なのに、その不器用な優しさが嬉しくて、折りたたみ傘をぎゅっと抱きしめる。 さっきのぬくもりが手のひらに帰ってくる。 そのまま携帯を閉じた。傘をばさっと開いた。 その瞬間、ぽつぽつと当たる音が耳の奥までしっかりと聞こえてきた。 まるで包み込まれてるみたいだと思ったら自然に頬が緩んだ。 帰ったらちゃんと傘使ったってメールしなきゃな。 そう思ったら少しだけ雨の日が好きになれた気がした。 END |
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