桜サク B

家に帰ってきたら、お母さんが「早かったね」と声をかけてきた。
今日は舞美ちゃんとデートで少し遅くなるかもしれないって、昨日の夜にお母さんに話してた私は、すごく楽しそうに見えただろう。
「ケンカでもしたの?」と呟いてるお母さんの声を背中越しに聞きながら、私は部屋に入った。

舞美ちゃん、間に合ったかな。
ちゃんと、会えたかな。

考えるのは舞美ちゃんの事ばかりで、考えるのをやめて思い浮かぶのも舞美ちゃんの事ばかりだった。
ホントは今頃、楽しくデートしてるはずだった。
私があの写真なんて見なければ…だけど、そしたらこうして舞美ちゃんが前に進もうと思う事はなかったんだろう。
だからこれは私にとっても舞美ちゃんにとってもいい事だったんだ、そう思おうとするけどなかなかうまくいかない。
泣いていた、あの表情を、涙を、思い出すと・・・どうしても胸の奥から切なさが込み上げてくる。

こんな時は寝てしまおうと思った。
まだ明るい外を見て、こんな時間に寝ようと思う事が贅沢にも思えたし、寂しくも思えた。

だけど、目を閉じても眠れなかったし、思い浮かぶのは舞美ちゃんの事だけだった。
舞美ちゃんの前では出なかった涙が出てきて、どうせだったら好きなだけ泣こうと思った。
子供みたいに、ただただ泣いた。何も我慢せずに抑える事もせずに、好きなだけ泣いた。



泣き腫らした目でご飯を食べた。
食べたというのは形だけで、お腹がいっぱいになった気もしなかったし、いつもおいしいと感じるお母さんの料理も今日は何も味がしなかったように思う。
食べ終わったらすぐにシャワーを浴びて、また部屋に戻る。
そしたらまた、舞美ちゃんの事ばかり考えてしまう。

ドライヤーで髪を乾かしながら、ふとベッドの上に投げ捨てるように置いていた携帯に目が行った。
携帯のランプがチカチカ光ってるのに気がつく。
私は慌ててドライヤーの電源を切って携帯を開いた。

メール1件。
舞美ちゃんから、だった。

ふぅ、と深呼吸して。ホントはすぐにでも見たいのに、でも怖くてゆっくりとメールを開いた。
そこにはただ一言。

<今日はごめんね。必ず埋め合わせするから。>

・・・それだけ、だった。

拍子抜けして・・・でも舞美ちゃんの今日がどうだったのか全然伝わらない内容に、少しイライラした。
でも、今日どうだった?なんて聞けるはずがない。
私、勢いだけだったけど舞美ちゃんに告白・・・したし、だから自分から聞くのは躊躇われた。

<約束ね。>

だから・・・メールの返事に困ってしばらくどう返そうか考えていたんだけど、結局私も一言のメールしか返せなかった。



いつもはわりとすぐに返ってくるメールが返ってこなくて、私はまたベッドに寝転んで目を閉じていた。
思えば帰ってきてからご飯とシャワー以外はずっとこんな風にベッドの上で寝転んでいた。
体が鈍ってる気がして、そしたら舞美ちゃんが走ってる姿が思い浮かんだ。
あんな風にスマートにストイックに走る事が出来たら、どんなに気持ちいいだろう。

時計はもう0時近くを表示していて、メールの返信をしてから2時間経っていた。
携帯はテーブルの上にまた投げ出されたように置かれている。
いつ返事がくるのかと待つのも諦めた。
手元にあると、どうしても期待してしまうから・・・。

夜になると一層寂しさを濃くさせる気がする。
静かな空気と、暗闇がそう思わせるんだろうか。
そう思うと余計、胸の奥が音を立てて痛み出す。

どうしてあの時、私はあの公園に行ったんだろう。
どうしてあの時、舞美ちゃんは私に話しかけてきたんだろう。
どうしてあの時、私は・・・恋心を抱いてしまったんだろう。

否定的な事しか考えられなくて、だけどそれでも私はやっぱり舞美ちゃんが好きで、この想いをなかった事にも出来ない。
私の中ではすでに始まってしまっていたのだ。
ただ、スタートで転んだ。それだけ。
きっともうすぐ失格になって、ゴールにさえたどり着けなくなる。

そして舞美ちゃんはちゃんとゴールに向かってひたむきに走っている最中だ。

届かない。追いつけない。
舞美ちゃんの背中はどんどん遠くへ行ってしまう・・・。
すごいスピードで、でも綺麗なフォームで。
全速力で走っても、私にはきっと追いつけないんだ。



そんな事を考えながらいつの間にか眠っていたらしい。
眠りが浅くて、でも一度目が覚めてしまうとまたなかなか眠れない。

時間が見たくて、ベッドの上から必死に手を伸ばして携帯を手に取った。
ディスプレイを見ると、着信。1件。
慌てて着信履歴を見ると、思っていた通り、舞美ちゃんからだった。
心臓がどくん、と跳ねた。
すぐに電話をかけようと指を動かした、だけど電話してどうすればいいのかわからない。

でも、声が聞きたい。

会いたい。

どんな事を考えても、たどり着くところはいつもそこ。

舞美ちゃんに、会いたい。
舞美ちゃんが、好き。

これはどうしても揺らぐ事はなかった。

思い切って電話をかけた。
舞美ちゃんはすぐに電話に出た。

私はたどり着いたその答えを、余計なモノを一切含ませる事なく伝えた。

「舞美ちゃん。会いたい。」

電話の向こうで「え?」って明らかに驚きの声がして、思わず笑いたくなった。

「今すぐ、会いたい。」

時計を見る前に電話しちゃったから、今が何時なのか全くわからない。
わかるのは、真夜中って事だけ。
少しの沈黙が続いて、舞美ちゃんが柔らかく息を吐き出す音がした。

「うん。愛理の家に行ってもいい?」
「うん。来て?」

舞美ちゃんはやっぱり優しい。
ホントは私に会う気分じゃないかもしれない。
それでも会いに来てくれる舞美ちゃんは優しくて、残酷だ。



電話を切って時間を見たら、思ってたよりも遅い時間だった。
2:07と表示されたディスプレイを見て、こんな夜中に呼び出した事を少し悪いなって思ったけど、でも後悔はしていない。
来たら何を話せばいい?どうすればいい?なんてそんな事考えても無駄な気がしたから、考えるのをやめた。

電話を切って10分。舞美ちゃんから電話が来た。

「愛理?着いたけど・・・家入ってもいいの?」
「うん。今、鍵開けるね。」

ドアの向こうに舞美ちゃんがいると思うと心臓がばくばく音を立ててとてもうるさい。
ガチャリとドアを開ける音が響いて、その先には・・・ずっと会いたかった舞美ちゃんがいた。
しっかりと顔を見たら、いつも通り優しく微笑んでくれた。

「おじゃましまーす。」

舞美ちゃんは声をひそめて、なるべく音を立てないように靴を脱いで、階段を上がって、遠慮がちに私の部屋に入った。
その途端、舞美ちゃんが小さく笑った。

「愛理、パジャマ姿かわいい。」

そういえば、デートする時はあんなに服装も気にしてたのに・・・気にする余裕なんてなかった。
恥ずかしくて、でも着替える事も出来ないし・・・パーカーでも羽織ろうかと思ったら、舞美ちゃんが「そのままでいいよ」って私の頭を撫でた。

その手は相変わらず、左手だった、けど。

舞美ちゃんはジーンズにパーカーというラフな格好をしてた。
でも妙に似合ってて、かっこよくてかわいい。

舞美ちゃんが私の部屋を少し見回して「座っていい?」ってソファーを指差す。
頷くと、子供みたいにぽすんと勢いよく座った。
私は・・・隣に座っていいのかどうか迷って、ベッドの上に座ろうとしたら、舞美ちゃんが隣をぽんぽん叩く。
おずおずと隣に座ったら、舞美ちゃんが嬉しそうに微笑んだ。

「それで、あの。電話くれたでしょ?」

朝の告白と、会いたい・・・なんて言ってしまったのが恥ずかしくて、あたかも舞美ちゃんが用事あったからというように話を切り出した。
舞美ちゃんはそんな事気にもせずに、うんうんって頷いて一瞬目をぎゅっと閉じた。

「ちゃんと、会ってきたよ。愛理のおかげだね。」

この笑顔に裏はあるんだろうか?
ホントはまだ辛くて笑うのだって無理してるんじゃないんだろうか?
そう思ったけどやっぱり舞美ちゃんは笑ってる。

「会いに行ってよかった。うん。よかった。」

何度も頷きながら、ひとり言のように呟く。
それがまるで自分の気持ちに言い聞かせるみたいで、心が痛んだ。

「けじめ・・・ついた?」
「なんだろうな。けじめっていうか一区切りっていうか。会いに行かなかったらきっと今みたいな気持ちにはならなかったかもしれない。」

舞美ちゃんがまた私の頭を撫でる。
ふわりと舞美ちゃんのにおいが鼻を掠める。

「愛理がきっかけくれたから。背中押してくれたから。ホントにありがとう。」

いつだって自分の気持ちよりも人を優先してくれる、ホントに優しい人。
今だってそう。

私は舞美ちゃんのカラダを抱きしめた。
さっきより濃く感じる舞美ちゃんのにおいと体温が愛おしい。
いつもしてくれるみたいに頭を撫でると、甘えるように首筋に顔を埋めてきた。
息がすぐ近くで感じられる。

「よく頑張ったね。」

私がそう言うと、舞美ちゃんは気持ちを吐き出すみたいに、肩を震わせて声を殺して涙を流した。

いつも自分より人を優先しちゃう舞美ちゃんだから。
今は思い切り泣いて欲しい。自分の気持ちを出して欲しい。
受け止められるかなんてわかんない、だけど受け止めたい。
その相手は、私がいい。
涙で肩が濡れたって構わない。

舞美ちゃんがそれで少しでも救われるなら、それは本望。

頭を撫でていると、舞美ちゃんの顔が私の首筋から離れた。
そして目の前に、舞美ちゃんの綺麗な顔。
お互いのおでこをくっつけたら、すぐそばに見える唇に目を奪われた。

「愛理には、恥ずかしいとこばっかり見せちゃうね。ごめんね。」
「そんな事ない。私は舞美ちゃんが見たい。」

おでこを離して顔を見ると、潤んだ目が私を捕らえた。
その表情は困ってるような驚いてるような・・・そんな表情で、何かヘンなこと言ったかな?って思ったら、私の頬に舞美ちゃんの手が伸びてきた。

「なんで愛理も泣いてるの?」

頬に触れた指先が離れて、目の前に差し出される。指先は濡れていた。
今度は自分の手で確かめるように頬に触れたら、やっぱり濡れていた。

「あ、れ?」
「愛理・・・。」

ぎゅうって抱きしめられた。「愛理、愛理」って舞美ちゃんが私を呼ぶ。
その声が切なくて苦しくて、涙が流れた。
そっか、私、舞美ちゃんがあんなに切なく泣くから、泣いたんだ。

「愛理。私ね、前に進むんだったら、愛理がいい。」

その意味がすぐにわかって、答えは抱きしめる強さで返した。

「だから。愛理が待っててくれるかわかんないけど・・・もう少し待ってて?」

初めて舞美ちゃんが自分を押し通した気がした。
だから、私は泣きながら、うんうんって何度も頷いた。



追いつけないと思った背中は、少しだけ近づいて。
失格になったと思った私は、まだまだ走れる。
今は隣に並んで走る事は出来ないけれど、いつの日かふたりで手を取って隣で一緒に走っていたい。

ゴールなんてなくて。ずっとずっと。一緒に。



END