桜サク E

外に出ると春のにおいがした。
この前よりもずっと、木々の緑が増えた気がする。

私は毎日・・・ではないけれど、時々早起きしてあの公園へ行っていた。
舞美ちゃんが走ってる姿が時々無性に見たくなるからだ。
いつか舞美ちゃんより早く来て驚かせたいって思ってるんだけど、まだそれは出来ていない。

公園に来ると、舞美ちゃんはいつも通り綺麗なフォームでグラウンドを何周も走っていた。
いつも通りにベンチに座ると、いつも通りに舞美ちゃんが私に手を大きく振る。
私が振り返すと笑顔になるのが嬉しい。

用意していたタオルを手に持って、その姿をじっと見つめる。
いつ見ても魅かれるその姿は、やっぱり私にいろんなチカラをくれた。

走り終わった舞美ちゃんは、私の元に駆け寄ってきた。
相変わらず汗がすごい。私は立ち上がってその汗を拭く。
舞美ちゃんは何度そうしてあげても少しだけ、照れる。

「あ、そうだ。愛理今日ヒマ?」
「うん。」
「家来る?」
「うん!」

舞美ちゃんが私の頭を撫でて、そのまま手を繋いでくれた。
このまま何処へでも行けたらいいのに・・・そう思っていつもより強く手を握ると、舞美ちゃんが不思議そうに私を見る。

「どうしたの?」
「なんでもないよ。」

そう言うと、舞美ちゃんは「そっか」って小さく呟いて、いつも通り大きく手を振る。



時々思う。天然で鈍感で不器用な舞美ちゃんだけど、私が思ってる事をいつもじゃないけどわかってるんじゃないかって。
例えば今、何処へでも行きたいって思った事。
だけど、今は答えられないから何も言わないんだろうな。
それを悲しくて寂しいと思う。繋がれてる手が離れてる気がして、胸の奥が音を立てた。

舞美ちゃんはシャワーを浴びに行って、私は部屋に取り残された。
新しく増えたコルクボードを眺める。まだあれ以来写真は増えていない。

テーブルの上に乗っていた雑誌をぺらぺらと捲り、そろそろシャワーから戻ってくるかなって思ったら、急に部屋の外がうるさくなった。
ドアを開けずに耳を近づけると、子供の声が聞こえてきた。

「みぃたんとあそぶのー!!」
「ごめんね、今日はお友達が来てるの。明日でもいい?」
「やだぁ。みぃたんとあそぶー・・・。」

みぃたん・・・?舞美ちゃん・・・舞美・・・みぃたん??

「ごめんね。」

舞美ちゃんの口調は誰に対しても優しいんだって改めて気づかされる。
舞美ちゃんに気づかれないようにドアを開けて階段の上から下を見ると、玄関にはちいさな女の子がいた。
どうやらその子は舞美ちゃんをみぃたんと呼んでいて、駄々をこねているその子に対して舞美ちゃんはオロオロしてた。

「ほら、家まで送ってってあげるから。行こうか?」

舞美ちゃんはその子に左手を差し出す。だけどその子はその手を振り払い、舞美ちゃんにぎゅーって抱きついた。

「しょうがないなぁ。じゃあだっこしてあげるからお家帰ろう?」

頭を撫でてその子をなだめた舞美ちゃんは、外に出て行った。

相手は、子供。ちいさなちいさな女の子。
だけど、舞美ちゃんに抱きついたのを見てもやもやするこの気持ちは、明らかに嫉妬。
それに気がついて自分が恥ずかしくなる。
子供に対して、そんな・・・。
でも、嫉妬だと気づくとそれは大きく心を占める。

ドアが開かれて、舞美ちゃんが「遅くなってごめんね」って私の元へ近寄ってくる。
いつも乾かしてくる髪が濡れてる。
あの子が来たから?乾かすヒマもなかったの?

こんな自分が嫌だなって思うけど、私は舞美ちゃんの顔が見れなかった。
舞美ちゃんはそんな私を困ったように見て、いつまでも目を合わさないからか下から顔を覗き込む。

「愛理。どうしたの?」

そんな優しい顔しないで。誰にでも優しくしないで。

「愛理。」

舞美ちゃんが私の頭を撫でる為に伸ばしたその手を、私は思わず反射的に振り払ってしまった。
思ったよりも大きく払われた舞美ちゃんの手は、そのまま重力に従ってだらんと下がる。
それがショックだったのか、困惑してるのかはわからない。
だけど舞美ちゃんは何も言わなかった。
諦めたように微笑んで、ソファーの上に座って首からかけてるタオルで頭をごしごしとただ黙々と拭いていた。

ごめんなさい、そう言ったらきっと舞美ちゃんは優しく私を許すだろう。
だけど言えなかった。
舞美ちゃんの髪が乾く頃には重い空気がこの部屋一面に広がっていた。

「よいしょっと。」

舞美ちゃんはソファーから立ち上がってドアに向かって歩き出す。
そして何も言わずにこの部屋から出て行こうとする。
嫌だ。思わず声が出てたみたいで、舞美ちゃんは振り返って私を見た。
その顔は、とてもとても。悲しい顔だった。

それで今頃になって、私は舞美ちゃんを傷つけてしまったんだと気がついた。

傷ついたのは自分だけ、みたいな。そんな風に思ってた自分を恥ずかしく思う。
舞美ちゃんはいつだって自分よりも人を優先してくれる優しい人。
なのに私・・・。
醜くて、自分勝手で。こんな私でいいの?

ねぇ、舞美ちゃん・・・。

舞美ちゃんが私の前に立つ。
泣きそうな舞美ちゃんの顔が目の前にある。
思わず目を伏せたら、ふわりと舞美ちゃんに包み込まれた。

「愛理・・・。」

私を呼ぶ声はいつも嬉しいものだったのに。今は悲しくて仕方ない。

「私の事、キライになっちゃった・・・?」

そんな事あるわけがない。こんなにも好きで、好きすぎて。
だからこんな醜い感情がなりふり構わず出てしまう。
こんなにも特別扱いされても、なお。もっともっと。欲張りな感情が生まれる。

「辛い想いさせて、ごめんね。」

舞美ちゃんは私から離れて辛そうに微笑んだ。
心の距離も離れた気がして怖くなって。
だから私は舞美ちゃんの胸の中に入った。それしか繋ぎ止める方法が思いつかなかった。

「舞美ちゃん・・・。」
「ん?」
「・・・嫉妬。」

舞美ちゃんが一瞬意味がわからなかったのか黙って・・・それから「あー」って唸った。

「もしかして・・・玄関の声聞こえた?」

恥ずかしくて黙って頷いたら、舞美ちゃんは私の顔を上げてじっと目を見つめた。
そして、さっきとは違う優しい笑顔を私に向ける。

「・・・愛理のヤキモチ焼き。」

悪戯に笑われて、でもその後にきつく・・・きつく抱きしめられた。

窒息しそうなくらい、舞美ちゃんと密着してる。
舞美ちゃんのにおいと熱で頭がクラクラした。
首筋に唇を寄せると「んっ」って声が耳元で聞こえて、頭の中がおかしくなりそうだった。
このまま・・・このまま舞美ちゃんを壊したくなる。

だけど、無理矢理する事なんて出来ない。
それは私の中にしかない欲望だから。

だからこれ以上その欲望が心の中で暴れないようにと、カラダを離そうとした。
その時、首筋に、柔らかい感触がした。
それは・・・明らかに舞美ちゃんの、唇の感触。

「えへへ。お返し。」

そう言う舞美ちゃんの顔が真っ赤で、私の中の欲望が今にも暴れ出しそうになる。

・・・どうしてそんな事、するの?

悪戯っ子みたいに笑って私の顔を見る舞美ちゃんに欲情する。
触れられた首筋は、いつまでも柔らかい感触を覚えていた。



その後は、いつも通りの私達だった。
他愛のない話をしたり、一緒に雑誌を見たり、テレビを見たり。
だけど心にひっかかってる『ごめんなさい』。
舞美ちゃんを傷つけた事。まだ謝れていない。
舞美ちゃんはもうそんな事忘れたかのように、テレビを見て笑ってる。

隣に座ってる舞美ちゃんとの距離を縮めると肩が触れた。
舞美ちゃんがそれに気がついてふわりと微笑んだ。

「ごめんなさい。」
「え?何が?」

ホントにわかってないんだろう。頭にはてなマークを浮かべてきょとんとした顔で私を見る。

「さっき。手、振り払って・・・。」

・・・そして傷つけてしまって。

舞美ちゃんはやっぱり何でもないように笑って「いいよ」って許してくれる。
でもあの時、確かに舞美ちゃんは傷ついたはずだ。
なのにどうしてこんな簡単に私を許しちゃうの。
優しいだけじゃ、ダメなんだよ。
もっともっと。出して欲しいの。舞美ちゃんを。
思ったりした事、感じた事、いろんな感情をぶつけて欲しい。
いつまでも私の一方通行じゃ、嫌だ。

でもまだそれは、出来ないのかもしれない。
優しく許してくれる舞美ちゃんだって、ホントの姿で決して作ってる姿ではない。
私、焦ってるのかな。待ってるって言ったけど、ホントは待ちきれなくってうずうずしてる。

「ねぇ、愛理。」

帰り際、ドアを開けようとしたら舞美ちゃんが私を呼んだ。
振り返ると、微妙な顔をしてる舞美ちゃんがいた。

「あのね・・・私ね、さっき・・・ホントはすごく・・・寂しかった。手、振り払われて。」

いつも目を見て話してくれる舞美ちゃんの視線が逸れる。
それで、どんなに傷ついたかを知る。

「ごめんね。」
「ううん。愛理に謝って欲しくて言ったわけじゃなくて・・・あの・・・。」

舞美ちゃんが落ち着かない様子で、私の手を握る。

「自分勝手だってわかってるんだけど・・・愛理に嫌われたくないの。」

繋がれた手に、舞美ちゃんの涙が落ちた。
それと同時に私の中の何かが弾けた。

ぎゅうっと強く抱きしめて、舞美ちゃんの頬に唇で触れた。
抵抗はなかった。
顔を寄せて舞美ちゃんの唇を見る。
そこに触れようとした時、頭の奥でかすかに警告ランプが光った気がした。

すーっと、弾けた何かが何処かへ消えた。

・・・私、何しようとしてたんだろう。

さっき唇で触れ、そして触れられた時に暴れ出しそうになった欲望が、自分でも気づかないうちにこうして出てくるのが怖い。
今は恋人ではなくて、でも友達とも呼べないすごく微妙でアンバランスな関係。
今、その欲望のままにしてしまったら。きっとすぐに崩れてしまうだろう、そんな関係。
さっきだって危なかった。心が離れた気がした、あの時。

「舞美ちゃん。」
「う、ん。」

触れる事はしなかったけど、私が何をしようとしたか気づいただろう。
待ってるとか言っておいて、結局はこんな風で。
そしてこの行動はまた、舞美ちゃんを傷つける。
私を苦しめてる、と自分を責めるはずだ。さっきのように。

「愛理。」

名前を呼ばれて顔を上げると、舞美ちゃんの顔は真っ赤だった。
何か言いたそうに目が泳いでいたけど、言う事をやめたのか舞美ちゃんはふわりと笑う。

「送ってくね。」

手を繋がれる。
その手はいつもよりひどく熱く感じた。
いつものように恥ずかしさを誤魔化すようにぶんぶん手を振られる事はなかった。

ただ、お互い一言も発せずに、黙って私の家まで歩いた。



「じゃあね。」

舞美ちゃんがひらひらと手を振る。
ホントにさよならを言われてるみたいで、心の中がざわざわと揺れた。
でも今の私には引き止める事も、何か伝える事も出来なかった。
私が黙ってる事に何かを感じたのか、舞美ちゃんは一瞬だけ軽く私を抱きしめた。
その一瞬のぬくもりは、私のカラダに余韻を残す。

帰っていく背中はどんどん遠くなっていって、冷たい風が私を冷やしているはずなのに。
一瞬のぬくもりがカラダにまとわりついて、いつまでもひどく熱かった。



END